2021.03.21
73号:会いたい!湯島本郷まちの人
20 代で仕出し弁当﹃湯島半之助﹄を立ち上げ、 32 歳で『金子半之助』を始めました。ほかにも海鮮丼の『つじ半』など展開しています。おかげさまでお客様に喜んでいただけていますが、それは私が湯島で生まれ育ったことが大きいかもしれません。
私は「粋」を大事にしています。「粋」をつきつめると、最後は「我慢」にたどり着くと思うんです。高い値段にすれば経営的な数字は良くなります。だけどそこをグッと我慢して利益を度外視することで、お客様にもっと喜んでいただける…そんな思いでやっています。しかし、これは私一人の力ではなく、多くの方のご協力のおかげで達成できていることなんです。
『金子半之助』というのは祖父の名前です。私が小学生の頃に他界した祖父は、 調理師を派遣する『一心会』の会長でした。祖父の残した書に「天丼復活論」なるものが書いてありました。本来、天丼は庶民に愛される食べ物なのに高級化してしまった、と。また、祖父の残した閻魔帳に「江戸前天丼のタレ」という秘伝のレシピが書いてあって、天丼屋をやろうと決意した私は「江戸前天丼って何だろう?」と徹底的に考えぬきました。
「天丼復活論」で語られていた「安くて豪快」と、私のテーマを両立させて、盛りは豪快、価格は粋に。そして祖父秘伝の天丼のタレをコンセプトに具材を研究しつくし、江戸時代は魚河岸だった日本橋に誕生させたのが『金子半之助』です。
肝心なのはモチベーションより「不動心」ですね。やると決めたことを最後までやり遂げる。その気持ちがあれば、どんどん前に進んでいけるものですから。
粋で豪快で手頃な天丼
天ちらし重
日本一の集客と言われる金子半之助
私のモットーは「みんなでやろうぜ」 なんですよ。お金を稼ぐのも、楽しいことをやるのも、自分ひとりだと満たされない。だったら得意なことを持ち寄って、 みんなでやりたい。お祭りのみこしは、 みんなで担ぐから楽しいんです。同じ思いの人たちと一緒にやれることが、私にとっての最高の幸せですね。みんなを巻き込めば、どんな過程も楽しいんですよ。今後はそんな仲間と一緒に、日本の食を海外に広げる事業に取り組んでいきます。
父も私も湯島小学校出身です。私は本当に湯島が好きでたまらない。なぜなんでしょうね(笑)。一緒にお祭りのみこしを担いだ仲間がいるからかな。私はお祭りの会に入っているんですよ。幅広い年代が「お祭り」のキーワードだけで集まっていて、仕事の話は一切ナシ!そういう心のよりどころがあるのが嬉しいですね。
実は、将来は必ずやろうと決めていることがあります。それは「天一町会」 の町会長です。町会長就任の前日に急逝した父の遺言で、いつの日かそうなれるよう誓ったことで、仕事の取り組み方も変わってきました。現町会長・松岡敬子さんとの約束でもあり、期待をしてくださっている松岡会長にも恩返しをしたい。
それから「桜は上野、梅は湯島」と言われるように白梅を一本でも多く増やしていきたいですね。本当に湯島には「ありがとう!」しかありません。誇りの持てる大好きな街を作ってくださっている皆さんに心から感謝しています。
株式会社おいしいプロモーション
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日本橋 天丼 金子半之助
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板前弁当 湯島半之助
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