2024.07.21
93号:会いたい!湯島本郷まちの人
昭和33年に、海軍で技術将校だった父と機械屋の娘だった母が「歯車」を作る会社「協育歯車工業」を創業しました。 当時「歯車」は、ひとつずつ図面を引いて製作されていたそうです。父は歯車の規格を統一し標準歯車をラインナップし「カタログ販売」を始めました。その後製作した商品をさらに拡販するべく、 母が独立して販売会社「株式会社協育」を設立しました。
「協育」の社名は、父の名前「協(かなう)」、母の「育子」から取ったようですが、 父は手記に「ともに育んで大きくしていこう」と言う意味を込めたと残しています。
私は2000年に社長になりました。 会社の業績がとても良かったこともありましたが、人員整理も給料カットも支店閉鎖も経験しました。そんな難局を支えてくれたのは、社員の皆さんです。「このままで止まっていてもしょうがない。前に進みましょう!」と言ってくれました。 希望退職を募る会議では「真っ赤なスーツ」を着て自分の気持ちを奮い立たせて話した事もありました。辛かったですね。 でも、両親が苦労して経営してきている姿を見ているので「守らなきゃ!」と必死でやってきました。
弊社の扱っている商品は『日本のものづくりを足元で支えている』という誇りがあります。これからも、「望まれる商品」と、「望まれるサービス」を、「望まれる品質」で、「望まれる時」に、の4つのスローガンを大切にし、社員・お取引先、そしてご縁のある方々と共に発展していきたいと願っております。また今年の二月に次男が社長に、私は会長に就任し、二人代表取締役の体制にいたしました。息子をしっかりと支え、時代に合わせた企業を目指したい思っております。
社会貢献としては「かわさきロボット競技大会」に長く協賛をしています。 また、「国境なき医師団」にも利益の中から活動費を寄付させていただいております。
協育の商品群の一部
ご自身の書道展での芸術的な作品
本社
私は、大学を卒業しすぐ結婚いたしました。ところが31歳で離婚をしてしまいましたので、跡取り娘としての重責を自分で背負うこととなり、母のアシスタントとして経営者としての勉強を始めました。その時に母から「会社をやる人はたくさんいるけど、母親はあなたしかいないのだから、子育てをしっかりやって後継者を育てろ。」と言われました。 母のアシスタントとして会社の事を学び、いろいろな経営者セミナーに行き勉強しながら、PTA活動も一所懸命やりました。現在、長男はフォトグラファーとして独立し、次男が会社を継いでいます。
中学、高校が桜蔭学園で、授業で楢崎華祥先生のご指導を受けました。高校は書道部に入り、そこで「仮名書道」に出会いました。楢崎先生は、尾上柴舟先生のお弟子さんで、皇后雅子様のお妃教育の一環として書道の御進講をされておいでです。年代から言うと私は皇后雅子様の姉弟子になるんですよ‼(笑)
「書道」は書を極める道、「芸術」です。 作品をどう作り上げるかを考えている時が一番面白いんです。墨色の変化や墨付きなどで作品が全く違ってきますし、構想を練っていて気づいたら朝なんて事も度々です。文字を入れ替えたり行間を変えたりと、練って練って仕上げていきます。一枚作品を書くときは一気に書きます。途中で筆をおいたりしたら「気脈」が切れてしまいますから。
展覧会に来てくれた方には「書道は読めなくていいんです。文字で紙面をどうのようにデザインしているかを見てください。」とお伝えします。
「聖智会(せいちかい)」という書のお教室を始めました。「聖」は母校の聖心女子大から「智」は智佐子から付けました。「後進を育てなさい。」との恩師の言葉に背中を押されて始めました。
年十数回の書道展があり、弟子の指導と自分の作品を仕上げるので頭の中がいっぱいですが、会派の運営のお手伝いもあり、まだまだ勉強することばかりです。
動の「会社経営」と静の「書道」この両輪が私の人生を豊かにしています。
これからも未知なる世界にチャレンジしていきたいです。
株式会社 協育
〒110-0015
東京都台東区東上野1-8-3
tel. 03-3833-9050
www.kg-kyouiku.co.jp/