2022.05.15
80号:会いたい!湯島本郷まちの人
講安寺は慶長11年(1606)、湯島天神下に創建され、元和11年(1616) に今の場所に移転したと伝えられています。もともとは無縁寺という名前だったので、お寺の前の坂も無縁坂と呼ばれるようになったとか。本堂は真っ白な漆喰が塗り込められた土蔵造りが特徴です。防火効果に優れた漆喰塗のおかげで、 火災の多かった江戸時代や多くの震災、 戦争にも耐えることができ、当時の貴重な姿を今に伝えています。
また、江戸時代のヒロイン・お美代の方ゆかりのお寺としても知られています。11代将軍・徳川家斉の側室だったお美代の方は、明治5年に亡くなるまで、ここ講安寺にお住まいでした。娘の溶姫の嫁ぎ先である加賀藩の江戸屋敷(現在は東京大学)はお寺と隣接しているので、 お美代の方は裏木戸を超えて、娘に会いに行った…と伝えられています。
本堂の前には、大きな枝垂桜があって、 白漆喰に生えるピンクの花が春の訪れを告げていたのですが、残念なことに5年ほど前に枯れてしまいました。正確な樹齢はわからないのですが、幹には彰義隊の刀の跡が残っていると伝えられてたので、お美代の方も同じ桜を見ていたかもしれませんね。今、境内に植えてあるのはクローン技術で蘇った若木です。
後編でもお話しますが、結婚して子供もいた私は31歳で大正大学に編入しました。
僧籍を取るには、最後の仕上げとして増上寺に一か月間こもって修行をするんですが、修行の前に剃髪した時はさすがにグッとこみ上げるものがありましたね。僧侶として生きる覚悟が決まった瞬間でした。
朝4時起床、夜9時就寝の読経三昧の修行を終えて一か月ぶりに自宅に戻ったところ、私の顔を見た娘に大泣きされました。精進料理と読経で体重も落ちて、さらに坊主頭だったので娘がショックを受けるのも無理もないですね(笑)。
修行の結果、無事に「僧籍」をいただいたものの「住職」として認められるのはまた別の話なのです。さらに一年かけて、 僧侶としての素質を周りの方に認めていただけたことで、大学編入から足掛け3年、34歳で住職になれました。
荘厳な雰囲気に圧倒されます
クローン技術で蘇った若木の枝垂桜
もともと、無縁寺と言う名前でした
実は私は、2人の子供を育てるシングルマザー。子育てを通じて、世代のつながりの大切さを実感しているところです。また、地域とつながる拠点にお寺はぴったりだと思い、両門町会長をお引き受けしています。防災の観点からも、町会がしっかりしてることはとても大切。 最近はプライバシーの問題で隣近所の顔が見えなくなっているけど、災害時にはそれは通用しません。地域にどういった方がお住まいになっているかを把握しておくことで、いざという時の備えにしたいと思っています。
湯島・本郷は歴史に裏打ちされた場所で、古いものと新しいものが共存しています。子供たちにはいろんな雰囲気を肌で感じることで、総合的な判断力を身に付けてほしいと願っています。
編集部より:後編となる次号では僧侶になったいきさつや、今後の抱負に関するインタビューをお届けします。
浄土宗 専修山 講安寺
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