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2023.09.17

「堪忍の意味」

88号:紗都ちゃんの寺小屋ばなし5

講安寺住職、両門町会町会長 池田紗都さん

 上野不忍池の近くに拙寺はございます。さだまさしさんの「無縁坂」という歌でも有名な「忍ぶ不忍(しのばず)無縁坂」です。この歌はどこか寂しい印象がありますが、それは、この歌にある「僕の母」の人生模様が、苦境に耐え忍びながらも生き抜いた母の想いを歌っているからなのだと思います。「忍」という字は忍者を想像する方が多いかもしれません。ただ私は長くこの地に居ると、忍ぶという意味よりも耐え忍ぶという強さを表す言葉として勇気をもらうことがあるのです。
 「ならぬ堪忍するが堪忍」という言葉があります。もうこれ以上、どうしても我慢できないというところを、なんとか我慢することが真の我慢強さ、忍耐であるという意味です。この「堪忍」は、堪える・我慢するという意味で、「勘弁する」という意味の堪忍ではありません。堪忍の「堪」は辞書によると「刃は、粘り強く鍛えた刀のは。刃は粘り強くこらえる心」とあります。何事にも持ちこたえる心が「刃」 であり、「堪忍」です。


 ある大寺に晋山した新命和尚がその大抜擢を妬まれ、 周囲の寺院からいろいろと注文をつけられたり、非難され、 それがあまりにも続くので、ほとほと嫌になり寺を飛び出そうとまで思うようになりました。そこで、晋山を推薦した老僧が「寺はいつも娑婆にあるものではないのか。 娑婆の光となってこそ寺なのではないのか。逃げようなんて卑怯だと説得し、さらに「人のけなしぐらいにヘコタレてどうするか」と諭したそうです。これが「ならぬ堪忍するが堪忍」の意味です。立ち向かおうとすればするほど、向かい風が強くなることが多いのが人生です。しかし、 向かい続けていれば、たとえ進まなくても後ろに下がることは無いと思うのです。堪え忍ぶこと、我慢すること、 怒りをこらえて他人の過失を許すこと、またそれをしなくてはならないこの世界を「堪忍土」とも言います。年齢を重ねていくほどに、堪え忍ぶ強さを身につけ、他人に優しくいられますように。

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